私は地元大学を卒業して西武百貨店に8年、そして地元病院に7年勤務した。その後平成2年10月に保険会社に研修生(代理店見習い)として入社し、この業界に入った。大きな組織から小さな組織、そして個人事業へと転職した。家族やまわりの猛反対は完全に無視しての行動だった。万一この保険の仕事で失敗したら、生まれ育ったこの地を夜逃げする覚悟で臨んだ。当初は縁故、知人を訪ねての営業活動でした。みんなには、『こんな仕事しかなかったの?』 『ここまで身を落とさなくても?』と、厳しい言葉をいただきました。
夢を持ってスタートを切った私にとって、最大のコンプレックスは“保険屋”と呼ばれることでした。人間として最悪な職業とも思える程でした。そんな時、ある先輩代理店さんから『魚屋さんが魚屋、八百屋さんが八百屋、保険屋が保険屋と言われて何が恥ずかしい、いつか胸を張って保険屋と言える日が来るから、それまでは頑張れ!』と言われ頑張りました。そして、その日は思いのほか早く来ました。平成4年10月の研修生独立、開業時には、名刺に堂々と保険屋と書けるようになりました。
日本の保険に携わる人は60万人以上と言われています。当然、そんな中には、いい加減な人もいるでしょう。そんな人達によって、業界に携わる人達のレベルが低く見られがちだったと思います。しかし、日本でもいつか欧米諸国のように“人生の中で3人の友を持て
”(医師、弁護士、保険コンサルタント)と言われる時代がいつか来ると確信しています。知識を裏付ける各資格、複雑な事故処理対応力、本気でやるとしたら、一般の人には簡単には出来ない特殊な職業と自負しています。業界入り10周年を迎え、新たに“皆様のお役に立てる保険業を目指し精進しよう”と、心に誓うのである。
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