当社の年賀状は平成4年10月過ぎの開業以来15年間宝船シリーズのワンパターンに意地を通している。
社会人になって三十数年、毎年元旦の朝に気を引き締め年賀状をチェックするのが楽しみでもあり自分の年始の仕事始めとしている。そしてお正月が過ぎたら 元旦、翌日、その後と届いた日をマーカーで色別チェックしている。
先日も提携先の保険会社(我々代理店にとっての親会社でもある)の数名の社員の方々に年賀状を出したが残念ながら返事がなかったことに注意をしてしまった。
今現在愚息が研修生として保険会社にお世話になっていることもあって、こちらが一方的ではあったが今年は所属先のでもあり、数名の社員の方々に初めて年賀状を出した。
勿論こちらが一方的でもあり返事を期待することが間違っているのは承知ではあったが、見事に今年初めて出した人からは誰一人と返事がなかった。
そこでつい「毎年男性社員全員で仕事始めの日にわざわざ年始の挨拶に来て下さるのに、年賀状を出しても返事もくれない、そんな気持ちで義理での年始廻りなら来年からはわざわざ挨拶など来れなくていい!! 立場が上とか下とかの問題ではない、人としての思いで、そんな気持ちの人間がこれから保険の仕事を始める研修生を教えられるのか!!」と、ついつい、相変わらず今年も我慢の出来ない男でスタートしてしまったと反省している。
学生時代は本当の友達数名から始まり、初めての勤務先の西武百貨店時代は職場からとは別に個人的に親しくお付き合い下さっているお客様に出すようにしていて8年後の退職の頃には100名以上の方々に年賀状を出せるようになった。その次の病院事務長時代にも継続してその方々を含め約7年後の病院退職時には約150名位の方々に年賀状が出せるようになった。そんなこともあって平成2年の今の保険業界での研修生入社時の挨拶状は困ることなく150枚の入社案内の挨拶状が出すことが出来た。
そして西武百貨店を退職して7年以上のブランクのあった西武百貨店時代のお客様からの皆様からもその後保険のご契約もいただけることになった。
自分にとっては、「たかが年賀状、されど年賀状」であって、たった1枚のしかもたった50円の年賀状が自分の首を繋いでくれたと言う思いでもある。
平成4年の10月研修生から独立して代理店として開業してから5年間は保険会社からの委託要請で研修生の後輩指導で地元は元より全国各地を廻っての指導をしたが、その時にも必ずこの年賀状の話はした。
「お客様に限らず年賀状を出すのならは元旦に届かなくては年賀状ではない、お客様から年賀状をもらえるのは大変なことで難しい、しかしいかに元旦にお客様から届く年賀状がいただけるかが我々の一番の課題だ、元旦に年賀状を下さるお客様だけが本当に我々を信頼して下さっているかのバロメーターと思え! 年賀状をいただけないお客様は自分でなくても保険は誰につけてもいいと思っていると思え!!」と、下手な販売のノウハウを教えるよりもここが一番大事なことと思っている。そしてその言葉、思いは今だ肝に銘じている。
これは保険の仕事に限らずどんな商売であっても共通しているし、仕事に関係なく、個人的な関係にも同じことが言えると思う。たった1枚の年賀状が信頼関係の架け橋と言っても過言ではなく思える。
今年4月から一緒に働く愚息にもそのことを一番の引継ぎ事項にしている。
ここ数年、昨年も約1600枚の年賀状を出している。契約をいただいているお客様が約1190枚、保険の契約はないが友達関係でもあり今後の見込み客が160枚、保険会社の交流の方々が112枚、交流の全国各地同業代理店仲間が130枚。出した枚数総数1592枚、いただけた年賀状が424枚。
そのうちご契約をいただいているお客様からは171枚。15%弱の確立。
いかに一生懸命頑張っていると自分自身思っても結局は信頼して下さるお客様は171名と言うのが現実と自分では厳しく評価、判断している。
この仕事をしていて、こんな方がと思う予想以外のお客様などから初めて元旦の年賀状をいただけることがが一番の楽しみである。
そして毎年毎年お客様だけに限らず1枚でも多くの年賀状を出せれる関係を作り、年賀状をいただける交流出来る人間関係の方々と初心である「出会いを大切に、安心のかけ橋を」テーマにしたい。
そんな意味で自分にとっての年賀状は「たかが年賀状、されど年賀状」と思っている。
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