ありがとう!アトム 平成18年2月

昨年の年末も押し迫った12月29日の事である。我が家の愛犬が死んでしまった。寒い早朝の午前6時30分であった。11年1ヶ月という長いようで短い命であった。名前を「アトム」という。一ヶ月半が経ち私はようやくその悲しみから少し立ち直ってきた。

話しは少しさかのぼるが・・、平成7年1月17日、この日私は後輩指導の講演会のため神戸に行くことになっていた、ホテルも予約していた。しかし直前に予定が変わり神戸のホテルをキャンセルした。もし予定通りにそのホテルに泊まっていたら、あの阪神大震災に遭遇していたのである。まさに九死に一生を得た。この時、奇跡的に助かった幸運を生涯忘れることのないよう、当時一番欲しかった犬を飼うことにした。それがアトムであった。

一人っ子の息子は当時、「兄弟がいないのだから、せめて犬を飼いたい」と言っていた。しかし、私の母親が「犬は飼っている時は可愛いいが、死んだ時つらいから絶対に飼うのは反対」と言われ飼うのは我満していた。しかし、人生いつどうなるのかわからないので悔いのないようにと、何とか説得して犬を飼うことにした。

愛犬アトムと鉄腕アトムの2ショット

小学生の息子とアトム

平成7年1月25日たしか水曜日であった、我が家に念願のシーズー犬がやって来た。当時、保険会社の三井海上がイメージキャラクターとして「鉄腕アトム」を採用し、CMにもよく登場した。アトムグッズも販促品として使っていた。そんな関係で犬の名前は家族全員一致、「アトム」という名前に決まった。「阪神」というのも候補にあがったいたが・・・。

アトムの世話は息子がする条件であったが、結局その頃から亡くなるまで約11年間私の父親がやってくれた。朝と夕方、雨の日以外は毎日散歩に連れて行っていた。アトムはワガママで、散歩の途中で疲れると歩かなくなり、いつも途中からダッコされて散歩していた。それを見かけた町内の人は「アトムがおじいちゃんを散歩させているね」と評判になり、アトムは有名人いや有名犬となってしまった。 また、我が事務所にみえたお客様にも愛想をふりまき、マスコットとして活躍してくれた。

私が仕事に疲れ帰って来たときには、いつも尻尾を振って迎えてくれた。アトムのお陰で親子の断絶もなく、本当に我が家を癒してくれた。おじいさんが大きな病気もなく87歳のいまも元気でいられるのはアトムのお陰と思っている。今一番心配なのはアトムがいなくなって元気を無くしたおじいさんのこと。アトムは1年前頃から心臓の病気と戦っていた。獣医さんからも「薬だけでよく1年がんばれましたね」と言われた程である。

アトム本当にお疲れさまでした。ありがとう アトム!!


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