中国旅行記=恐怖の深セン(2002年7月) |
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恐怖の深セン・香港旅行から何とか無事に帰って来られた。今回の旅行は、この1年くらい前からの懸案事項であった。中国の深センに、当社の大口取引先の工場があり、そこを訪れるのと、香港にある会社見学が一番の目的であった。また、その会社の役員の方が昨年7月19日に、タクシーに乗っている時に交通事故に遭遇し、左足複雑骨折で長期入院の大けがをされたのである。その保険金請求に関わる実態調査の目的もあった。1年越しの計画でやっと実現出来た。 仕事柄4日間も事務所を空けることはとても出来そうにないし、不安でもあったが思い切って実行に移した。まさに喉に刺さった魚の小骨が取れたと言うのが実感である。出発の7月10日の朝は、愛知県地方に台風が接近し、飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれていた。そんな不安の中、とにかく名古屋空港へ向った。何とか予定通り飛行機は飛び立った?ようだ。飛行機は数えられない程乗っているが、余程の度胸があるのか、それとも余りの恐怖?に失神したのか・・、飛行機に搭乗してから離陸前に寝てしまった。気が付いたら、離陸後1時間ほどたっており、真っ青な雲の上であった。 |
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ツアーだからと安心していたら、名古屋からは私達1組で、香港に到着して、まさに恐怖の旅立ちがスタートした。事前説明を横着して詳しく聞いていなかった。飛行機を降りてからまさか空港ビルまで地下鉄に乗り、その後入国手続きをするとは予想外の事であった。そこでパニック状態になり、周りの人に聞こうにも言葉の通じない人達ばかりだ。しかし、私達にとっては奇跡的と思えるが何とか入国が出来てしまった。ツアーは香港の空港の外で他の人と合流、目印は胸のバッチだけだ。ツアー参加者は、神戸の男性1人、仙台からのおば様6人組、私たち夫婦、合計9人であった。私たちだけが遅れたので、いきなり謝罪からの挨拶で中国旅行はスタートした。 |
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深センの治安の悪さは、取引先企業の赴任経験者から散々聞かされていた。現地のガイドさんにも何度も注意され、恐怖は益々つのってきた。深セン駅に着いたと同時に恐怖が到来し、いきなりカバンを触って来る人や、周りの人達の目が獲物を狙う目にしか見えなかった。その日は「中華民族村」というところに行き、観光ショーを楽しんだ。屋内と屋外での民族ショーがあった。その会場からバスまで歩いて行くときにも常に数人の人達が声を掛けてくる。逃げるようにしてバスに乗り込む。当然ホテルからの外出は禁止。恐怖と疲れで、夜は9時に寝てしまった。 |
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翌日はツアーのガイドさんに無理を言って、私たちだけ予定を変更した。(勝手な行動は常日頃のことだ・・?) ツアーから離れて目的である取引先の深セン工場の見学に回った。自分達でタクシーに乗ることも不安なので、またまた無理とわがままを言って取引先企業の方に強引に、朝7時車でホテルに迎えに来ていただき、その工場に向かった。40分ほどかかった。行き帰りの車中でその方から色々と現地の話を聞き、中国の人達の暮しに比べ、いかに我々日本人が贅沢なのかを思い知らされた。 |
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深センからバスで途中数カ所の観光地を見ながら、半日かけてマカオに入国した。ここでも常時狙う目に脅かされる。せっかくここまできたのだから、社会勉強も兼ね夜のカジノへは行ってみた。ある主婦と思われる女性が大当たりし、日本円で約5億のお金が入ったという話を聞いたりして、15分のいい夢を体験した。その日はマカオに宿泊し、翌日は高速船でマカオから香港に移動した。ツアーの定番だそうだ。まずは免税店の見学や飲茶を飲んだり食べたりしながら市内見学だ。 |
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途中からまた自由行動を取り、第二の目的である香港の会社見学に向かった。しかし、ここでも地理がまったくわからい。当然の事であるが・・。またまた無理を言って、ホテルまでその会社の方に迎えに来てもらった。香港は古い建物と近代的建物とが入り混じっている。近代的建物はいづれも高層ビルだ。目的の会社は名古屋のツインタワーと同じようなりっぱなビルにあり、なぜかほっとした。深センでも香港でもいたるところで建設中の高層ビルを目にした。その工事現場で驚いた事がある。足場が竹なのである。竹をどこまでも高く縛り付けてあり、足場にしているのである。これには本当にびっくりするやら、感心してしまった。 |
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香港の夜は会社の方の家族と一緒に食事を楽しんだ。食事をしたお店は雑誌にも載っている有名なお店であった。本場で北京ダックなどを味わい念願が叶った。本来ならお世話になっている私が接待しなければならないのに、逆にご馳走になってしまった。 |