「後継者誕生」  平成18年7月

私には一人っ子の息子がいる。彼は今年の春、何とか大学を卒業出来た。そして、保険会社に後継者制度を利用し、研修生として入社した。私は16年前の38才の時、一般研修生として保険業界に入ったが、その時彼は小学校1年生であった。その当時、一生忘れることのない思い出がある。平成3年の7月7日、学校の行事で七夕祭りがあった。運動場にたくさんの子どもの短冊が飾られ、私達夫婦は我が子の短冊を必死になって探した。

その短冊には、幼い字で「お父さんの仕事がうまくいきますように」「お父さんが貧乏になりませんように」と・・。その内容は私達にはショックであった。子どもなりに心配していたのだ。その頃は私が保険の仕事で自立が出来るかどうか一番不安定な時期でした。しかし、その短冊のお陰でどんな苦難も乗り越えがんばった。そして、今の自分があると思っている。

小学校4年生の頃、キャンペーン表彰式が東京で行われた。その会場に息子を連れていった。「お父さんのように一生懸命頑張ればこんな豪華なホテルで表彰されるんだぞ!!」と私の姿を見せたかった、代理店後継の英才教育のつもりであった。この頃に、師と仰ぐ函館の先輩代理店に出会った。家内と息子を連れて函館を訪ねた時のことである。その先輩に言われた、「子供にも人生があるんだぞ! 子供の人生を何故お前が勝手に決めるんだ! 例え親でもそんな権利はないんだ!」と叱られた。

それ以来保険のホの字も息子には言わなかった。昨年の夏頃からリクルートをはじめた。2つの企業の内定が決まり、一つの会社に絞る段階に来ていた。一方の会社には私の後輩が以前勤めていたので、彼にその会社の話しを聞くことにした。後輩と息子の話の中で息子が言った「毎晩遅くまで働く父親を見ていて、もし父親が倒れたらどうなるんだろう?私が跡継ぎとして保険業界に入ることを覚悟しなければと思うようになりました。」と。それを聞き後輩は「そんなことだったら遠回りをせず、お父さんの仕事を初めから引き継げば・・、どうせ営業の仕事をするなら保険業界の方が絶対にいい。」そんな経緯があり今春から保険業界に入った。

私の回りでは「2〜3年は別な職種の仕事をして、その後、親子一緒に仕事した方がいいのでは・・」と言ってくれる人もいました。息子とじっくりと話し合った。「期間を定め、退職を前提にする就職は企業に失礼だし、自分も本気になれない。遠回りをせずにこの業界に入りたい」と彼は言い、自身でこの道を選んだ。

我が事務所は開業以来、経営も何とか順調に伸び、今は家内と私が外回りの営業、事務スタッフが3名の5名体制である。平成2年の10月研修生としてこの業界に入り、平成10年の10月に事務所を新築し同時に法人化出来た。そして今年、息子のお陰で後継者問題も解決出来る目途がついた。改めて再スタートを切る思いである。これからもいろんな問題が起こるであろうが、みんなで力を合わせて精進する決意を改めて心に誓うのである。


水田のひとり言トップページ    ホーム