親友の一人T氏が亡くなった。彼は、息子の中学校時代のPTA仲間で創ったMITO倶楽部のメンバーである。メンバーは4人、飲み会をしたり、ゴルフもやっていた。T氏はパン屋さんを経営していたが、私たちは彼の定休日に合わせて定期的に麻雀をしていた。毎年正月には、ロングランで新春麻雀大会も恒例化していた。2年前(平成14年)には、4人で北陸にゴルフ&麻雀旅行もした。そして今年の9月にも三重県の榊原温泉にゴルフ旅行を計画していた。この6月には、彼だけ急用でゴルフは出来なかったが、夜の飲み会には参加した。今月の月例麻雀にも当然元気に参加した。・・その彼はもういない・・。
彼が脳梗塞で倒れたのは6月25日(金)早朝であった。翌日、仲間3人でお見舞いに行ったが、意識不明状態。そして6月29日(火)午前2時に帰らぬ人となってしまった。MITO倶楽部メンバーの年は、Mの私は52歳、I氏とO氏が51歳、T氏は一番若く50歳であった。・・何で彼が・・、29日朝に奥さんから連絡が入り、私達はすぐに飛んで行った。彼はただ眠っているだけ、起こせば起きそうな顔であった。葬儀の日、棺の中でもいつもの笑顔に見えた。私達は、彼が死んでしまったとは信じられない思いで火葬場まで見送った。彼は酒は一滴も飲めなかったが大のカラオケ好き、いくら急に誘っても断らなかった。いつも笑顔で迎えに来てくれた。
彼の声はどちらか言うと、小椋佳、村下孝蔵の声にそっくり。レパートリーは幅広く、サザンオールスターズから前川清までこなし、歌が本当にうまかった。オートバイも大好きでツーリング仲間や一人でよく走っていた。本当にいつも笑顔で愛想がいい人間だった。彼には、双子の息子と娘がいる。その双子の兄弟は我が息子と同級生であった。
今だに忘れられない思い出がある。その双子兄弟が小学校時代の誕生会に息子を招待してくれた。誕生会の後に子供たちを彼がボーリングに連れて行ってくれた。お店もあり忙しい中、沢山の子供達と一緒に。そんなこともあり、今は離れて暮らす我が息子にも訃報はした。息子は飛んで帰って来て、葬儀に参列した。
そんな訳で、彼とは昔から顔見知りではあったが親しく付き合い出したのは、平成9年に彼からPTAの役員を引き継いでからであった。本当にどんな時も笑顔で迎え、イヤな顔や怒った顔は一度も見た憶えがない。倒れる二日前の夜、家内と夜のウォーキングの帰り道、彼のお店に寄り立ち話もした。前日もお店の前で元気な姿を見たのに・・・。彼がもうこの世の人でないとは、今だに信じられない思いである。
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