水田家 歓喜の成人式
平成16年1月28日

今年、水田家の一人息子が成人式を迎えた。30年前の自分を思い出した。時代は違えど、息子自身も待ちに待った成人式であろう。私達夫婦にとっても喜びも一入の成人式であった。と言うのも・・、以前この「ひとり言・・」でも書いたが、私には大学時代に円形脱毛症の苦い経験があった。あろう事か、いま大学生の息子もこの1年その“脱毛症”に悩まされていた。遺伝と思えるくらい私とまったく同じ時期に・・。しかし、成人式には何とか治った状態で迎えられたからである。

私の“円形脱毛症”の原因は大失恋のためであった。何も食べずに酒ばかり飲んで、かなり悩んでいた。しかし、息子は親元を離れ1年、学校や音楽活動に励み生活は充実していた。悩みらしい悩みは思い当たらなかった。しいて言えばアルバイト先で、従業員が一人転勤で赴任してきた。その人がかなり臭い?人らしい。その人が来てから症状が出て来たようだ。2月の終わり頃から頭全体に少しずつ抜け毛が目立ってきた。私はコイン型の円形脱毛症であったが。

すぐに昔私が治療を受けた自宅近くの皮膚科に息子を連れていった。しかし、まったく良くならず症状は悪化していった。別の皮膚科で様子を見ることにした。4月に入った頃は河童の頭みたいになり、髪が生えているのは前髪と横だけになっていた。その頃TVの「あるある大辞典」という番組で円形脱毛症の特集があった。東京の順天堂大学病院の先生が出演していた。“円形脱毛症”の専門科があるのを知り受診しようと決心した。

医療機関の医師には多少はネットワークはあったが、さすがに順天堂大学病院には知り合いはいなかった。4月に親子3人で上京し、前泊して受診に臨んだ。受診の前日、息子にこう言った。「何事もプラス思考で行こうよ、この病気のお陰でこうして久しぶり親子3人で旅行も出来た。この試練を乗り越えれば必ず将来大きな自信になるから・・」と、彼を励ましながらお台場をはじめ東京見学、夜は3人で飲みに行った。

そして翌日、診断を受けた。結果は「脱毛症の原因は不明です」とのこと。血液検査の結果を待つことになった。受診の時医師から「早期に治したいのなら副作用の出るステロイドという薬を出しますが・・」と言われた。二つ返事でその薬をお願いした。一ヶ月後に血液検査の結果がでた。「確信はないが、小さい頃のアトピーが原因かも知れないです」との診断であった。医師の予告通り息子には浮腫みが出たり、いろんな副作用が出た。

5月にはもう殆ど髪が抜けてしまっていた。しかたなく、本人の意思で「スキンヘッド」にした。その頃彼は失恋してしまった。親としては自殺でもされてはと深刻に悩んだ。知り合いの床屋さんから「酷い円形脱毛症の人を漢方薬で治す医院がある」と言う話しを聞いた。早速その医院にも通院をさせた。

親としては何もしてやれないが、せめて早く治るようにお参りだけでもと思い、近くの神社と豊川稲荷に深夜1時間くらい掛けてお参りすることにした。息子の気持ちに負担になってはと思い彼には「ダイエットのための深夜のウォーキングだよ」と言っておいた。
そして半年が過ぎた。順天堂大学病院の薬が効いたのか、漢方薬がよかったのか、地元の神社や豊川稲荷の御利益なのか・・。何がよかったのはわからない。

その後日一日と彼の頭には髪がよみがえってきた。そして、後頭部に1円玉くらいのハゲが残るだけまでに快復した。そして年が明け、成人式を迎えた。もう帽子をかぶる必要はない。自信を持って式に出席出来た。私達夫婦にとってほんとうにつらい1年であった。しかし、それにも増して息子にとっては試練の1年であった。
それ故、まさに親子3人で迎えた「水田家 歓喜の成人式」であった。


 


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