親バカシリーズ  “ドラ息子編 (2002.9.15)

今日の夕方、浜松のアクトシティの野外ホールで息子がドラム(ドラ息子)をするバンドのライブがあった。大学に入ってからはライブ活動をしていることは聞いていた。しかし、これまでは日時や場所は教えてくれなかった。ところが、先日帰宅した折りに何故かポロッと家内に言ったのである。家内は『見に行って言いの?』と言葉を返した。彼は『別に・・・・。』と答え帰っていった。そんなわけで彼が演奏するライブを見ることが出来た。

我がドラ息子は、今年の春に静岡県浜松市の浜松大学に入学した。通学可能な距離だが、本人の希望と親の意思が一致してアパート暮しとなった。一人息子でもあり、親心としては心配ではあった。しかし、よく言う『可愛い子には旅をさせろ!』の格言を実践しようと思った。また彼も高校時代からの夢でもあったようなので・・・。

中学3年の頃である。彼は何を思ったのか自分の小遣いをはたき、通信販売でドラムセットを買った。「どうせいつもの三日坊主だろう」と思っていた。毎日毎日ドラム講座のビデオを見ながらドラムを叩く日が続いた。そして、中学最後の11月、友達とバンドを組み、学校の文化祭でデビユーしたのである。その後高校に進学し、部活は彼自身の意志で中学と同じ野球部に入った。

当然、野球部は猛練習の毎日、休日も遠征試合などでまったく休みはない。そんな中、1生生の夏が終わった9月頃の事である。『どうしても音楽の道に進みたいから野球を辞めたい』と言い出した。『勉強もろくにしないんだから、せめて野球だけは続けろ!野球部を辞めるなら学校も辞めろ!』と一方的に押さえ付けてしまった。そして、野球部の監督や先輩や父母にまで裏で手を廻し、おまけに自分の恩師(空手部)まで巻き込んで、『殴ってもいいから何とか野球部に残留させて欲しい』とお願いした。

空手部の先生にお願いした翌日、息子から『訳もわからず空手部の先生が教室に来て何も言わずにいきなり殴られた』と聞いた。先生からも『今日殴っておいたから』との連絡があった。『俺も数え切れない程生徒を殴って来たが、悪い事もしてない、殴る理由もない生徒を殴ったのは初めてだ』と言ってみえた。

その後、その空手部の先生は野球部の練習や試合、そして三重での東海大会の試合まで泊まりがけで応援に来て下さった。半強制的なやり方で野球を続けさせられたことについて、彼も今は『野球を辞めなくてよかった。後悔どころか本当にいい経験と思い出となった。本当によくぞやって来れたと思う』・・、と言っている。昨年の夏、野球の行事も終わり、友達とライブを見に行ったり、スタジオで練習に行ったりしていたようだ。それ以後は彼に干渉をしないようにしていた。

その日は、息子に見つからないようにと、家内と別々に息子のドラムを叩く姿を見ていた。そんないろいろな経緯を思い出しながら・・。私も家内も涙、涙のライブであった。ライブの内容は思っていた程のギンギンのロックではなく、我々が聞いてもそれ程違和感のないサウンドであった。 1年生でありながら先輩達とチャンとドラムを叩く姿に相変わらずの親バカで感激してしまった。

野球部の真夏の練習や試合での彼の姿の見る度に、私には出来なかったことをやっている彼を素直に尊敬出来た。大学に入り、一人で軽音楽部に入部して今では社会人グループとの掛け持ちでドラムを叩いているようだ。帰りの電車の中で家内と色々と話しあった。子供の成長・・、親の指導力の責任や重さ・・・。


水田のひとり言トップページ    ホーム