拝啓 水田令子様 (妻へのメール)
2002.10.10 |
昭和58年3月27日。新郎31才、新婦21歳の結婚式だった。早いもので、来年は結婚20周年となる。21歳の若さで、その時から俺の両親の面倒をよくみてくれている。本当にありがとう。特に母親は、おれ自身、腹が立つほど超ワガママで、本当に苦労を掛けている。どちらか言うと外面はいい俺だが、面と向かうと素直に感謝の言葉すら言えないでいる。
結婚当時は西武百貨店勤務。その半年後には、病院の事務長に転職。そして、またその7年後の平成2年には、保険業界へと・・。その度に、あまり説明もせず仕事を替えてきた。それでもよく黙ってついて来てくれたと感謝している。保険会社の研修生の頃は本当に経済的にもつらかった。おまえの内職やパートでほんとうに助けられた。今を思うとそんな時代があった事がうそのようである。独立開業当初の平成4年の頃は、自分一人でなんとか仕事をこなすことが出来た。
しかし平成6年秋、夢の「1億円代理店」実現のため、パート仕事をやめてもらい、仕事を手伝ってもらうようになった。そのお陰で、平成10年10月10日10時10分10秒には、大借金ではあるが事務所ビルを建てる事が出来た。今考えても、よくもまあ、あれだけの借金が出来たものだとあきれる。二人とも無謀な性格だったと思う。それからも順調に業績は伸び、開業10年で2億代理店も実現できた。これは、おれ達夫婦とおれ達を支えてくれてたスタッフの力の賜物と、素直に自分たちをほめても良いと思う。決して思い上がりなどではなく・・・。
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知人の結婚式にて、ひさびさの親子3ショット
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そんな大事な事務所竣工4周年の記念日、10月10日に夫婦喧嘩をしてしまうとは・・・。
自分なりにおまえの事をいろいろと考てみた。主婦であり、母親であり、しかも俺の両親の世話までしてくれている。その上、短気でわがままな亭主の面倒までみなければならない。最悪の環境だと思う。仕事で疲れていても、三度の食事の支度、洗濯。まあ、掃除はあまりしないけど・・・。一番頭が痛いのは、借金だらけのお金の工面だと思う。 |
家を出ていく??妻
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そんな状況の中、俺は仕事中でも、つい自分の女房だという甘えで、みんなの前で大声でおまえに怒鳴ってしまう。八つ当たりはする。無理ばかりを言う。よく周りの人に言われているよな、「なんであんな旦那と・・・、よくやるね」・・と。世間の目は正しいかも知れない。
これからは、仕事中はあくまでおまえを一従業員と思い接していこう思う。決して嫌みなどではない。そうすれば他の従業員さんと同じように接することが出来るような気がする。おまえだけに怒鳴ることもなく、問題も少なくなるように思う。
今回の夫婦喧嘩中に、何人かの先輩代理店さんがおれ達夫婦を心配してくれた。考えてみれば、保険代理店は殆どが夫婦でやっている。奥さんが手伝っていない代理店さんは数少ない。失礼かも知れないが、なぜか私はそんな代理店さんには不信感を抱いてしまう。それほど、この仕事は夫婦の信頼関係が絶対条件だと思う。うちみたいな自宅と事務所が同じ建物だと、奥さんは仕事を辞めても、絶対に事務所との関わりからは逃れられない。電話には出ないようにしていても、お客様が来店されれば応対しなければならない。そう考えているからこそ、あの時おまえが「仕事をやめる!」と言った時、売り言葉に買い言葉で結婚後初めて「離婚だ!」と口にしてしまった。 |
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事務所ビルを建てたお蔭で本当の来店型保険代理店が実現できた。こうした以上、おまえが俺の仕事に全く関わらないということは不可能だと思う。昔のように二人だけでやっていればまだいいかもしれないが・・。「保険を売る」と言うことは「形のないもの(信頼)を売る」ことだとよく言われる。それを売る以上、夫婦の信頼関係がない代理店など、売る資格すらないと思う。
50年間生きて来た俺の性格はそう簡単に変わらないと思う。しかし、これまでの自分自身を、反省も含めてしばらく考えてみる。この先どうなるかはわからない。お互いに少し距離を置いて、おれ達のこれからをじっくりと考える時期に来ていると思う。
世間でよく言う「夫婦喧嘩、犬も食わない」と言う諺がある。しかし、今回の俺達の喧嘩はいろんな人達が食ってくれた。本当に幸せに思えた。そんな人達の期待を裏切らないためにも、お互いに結婚当時を思い出し、これからも頑張るしかないと思う。 |